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天才ぴかりん・作

アネモネとカネノネ


青空に、紙のように薄っぺらい雲が浮かんでいる。
吹きすぎるのは生ぬるい風。
古びた学び舎には人気がない。
けれど四角い窓だけはピカピカに磨かれて、太陽を反射して光っていた。
裏口に続く狭い道に、人影がある。
彼は赤い花がたくさん入ったかごを手に、肩かけが風に飛ばされないよう胸の前でかき合わせるようにして押さえ、歩いている。
校舎の横を通り、体育館を曲がると、広い原っぱに出る。
生徒たちに裏庭と呼ばれているその場所は、北側にもかかわらず日当たりがよく、四季折々、様々な植物が顔をのぞかせる。
お昼時や行事の際、放課後の運動場と同じくらいにぎやかになる人気スポット。
そんな裏庭も、今はひっそりとしていた。
草花が擦れる音がよく聞こえる。
目を閉じると、風の歌を聴いているよう。
彼はしばらくそうして静かにたたずんでいた。
次に目を開けたとき、彼はどきっとした。
誰もいなかったはずなのに、端にあるベンチに女の子がひとり、ちょこんと座っている。
大きな帽子をかぶり、ポンチョみたいな服を着て、花びらでつくったようなスカート、という変わった服装をしている。
さっきから無表情でじっとこちらを見ている。
きっと彼女は最初からいて、自分がそれに気づかなかっただけ。
彼はそう思いなおし、裏庭に足を踏み入れた。
移動している間も、視線がずっとはりついている。
「なにしてるの」
ベンチに近づいていき、話しかける。
女の子との距離は1メートルほどあいている。
答えが返ってくることはなく、代わりにゆっくり瞬いた。
まなざしが少し優しくなったような気がした。
「君、異国の人?」
もう一度、尋ねる。
女の子は目を伏せて、小さく首を振った。
「ここ」
囁かれたその言葉は、かろうじて彼の耳に届いた。
「待っていたの」
そういって女の子は視線を戻す。
小さな口元がゆるんだように見えた。
「きれいね。お花屋さんなの」
視線がかごの方に移り、瞳にかごが映る。
「いや、違うんだ。これはここに放るために買ってきたものだから」
「ほうる……」
「そう。知らないかな。『放り花』っていうんだけど」
女の子は首を振った。
「今はもう誰もやってないと思うけど、この学校の古い言い伝えでね。花を放って、健康とか幸せを願うと、それが叶うっていう。願かけみたいなものかな」
花を眺めたまま女の子は、ふうん、とつぶやいた。
「せっかくだからやろうかと思って」
彼はかごをちょっと持ち上げてみせた。
裏庭の一画に、花がたくさん咲いているところがある。
そこに、ひとり一輪、花を放り投げる。
それだけのこと。
彼はかごから花を一輪だけ抜きとると、花畑に向かって放った。
ちょうど風が吹いて、花は思った以上に飛び、そしてゆっくり花畑に落ちた。
花が落ちた位置には、彼が放ったものと同じ花がいくつも咲いていた。
背の高い、春先の、風のよく吹くところに咲く花。
その花たちを見つめて、彼は目を細めた。
ほぼ常時、風が吹いていて、花も揺れている。
そういえば、風のない日もこの場所には空気の流れができていた。
少しぼうっとしかけたところに、女の子が声をかけてきた。
「どうしてそんなにたくさん用意したの」
「うん、みんなの分も、やってあげようかと思って」
「みんなって?」
「祝われている人たちさ」
じっと見つめられ、彼は目をそらす。
そしてまた花を放った。さっきの花の隣に落ちていく。
「お祝い事には合わない花ね」
彼は花を一輪ずつ放り続ける。
花が放られるたびに風が吹き、花はふわふわ浮遊する。
「祝いの席に、出なくてよかったの」
ぴたり、と花を放っていた手が止まる。
「どうしてそれを」
眉を寄せ、彼は振り向いた。
かごにはもう、ほんの少しの花しか残っていない。
「ここで、見ていたから」
「嘘をつくなよ。初対面じゃないか」
女の子は首を振って、立ち上がった。
花畑に向かって歩いていき、花畑に入る。
彼女の足は、花をほとんど踏んでいなかった。
まるで花のほうから道をつくってくれているよう。
彼の放った花が降り積もっている辺りで、彼女は足を止めた。
「この辺から、さぼってるの見てたわ」
風が、ざあっと吹いた。
少し肌寒くなって、彼は肩かけを胸の前でぎゅっと合わせた。
女の子の姿は花畑にとけこんでいる。
しゃがんでしまえばきっと、いるのかどうかわからなくなってしまう。
だから気づかなかったのだろうか。
強い風の中でも、彼女は身じろぎひとつしない。
「君は、誰なんだ」
風が途絶えたとき、尋ねてみた。
その瞬間、静寂が辺りを包みこんだ。
風はぴたりとなくなり、草花が揺れることもなく、人も動かない。
少しの沈黙の後、女の子は口を開いた。
「私は、アネモネ」
「え、」
一拍の後、ものすごい風が吹き荒れた。
髪の毛がバタバタ踊り、花のほとんどが横倒しになる。
彼は目をつむり、肩かけとかごが飛ばないようにするので精一杯だった。

気がつくと彼は、柔らかな芝生の上に横たわっていた。
あたたかい陽気と鳥の声に迎えられながら、体を起こす。
周囲を見渡して、誰もいないことに気づく。
彼女は帰ったのだろうか。
どこかへ行ったのだろうか。
それとも本当にアネモネなのだろうか。
彼は花畑に目を向けた。
驚いたことに、彼が放ったのではない花が山積みになっていた。
そういえば、裏庭の雰囲気も少し変わっているように感じる。
草の背が伸びているのだ。生えている植物も少し違っている。
かごの中を見ると、残っていた花が全て枯れている。
彼は息をのんだ。
ぺたぺたと自分の頬に触れてみる。
どうやら自分はそのままらしい。
ほっと安堵のため息をつき、改めて花畑を見る。
白や黄色の花に埋もれて、赤い花びらが見えた。
花畑に近づこうとして立ち上がったところで、背中から声が聞こえた。
「あちゃー、先客がいたとは」
びっくりして、振り向く。
裏庭の入り口には、知らない男子生徒が立っていた。
ばちっと目が合った。
こんなところで何してるのかと怒られるだろうか。
そんな考えが頭をよぎったとき、鐘の音が響いた。
ますますどきっとする。
無人のはずの校内で鐘が鳴るなんて。
心臓に悪い追いうちだ。
しかし生徒の方はそんなに驚いた様子もなく、軽い足どりで裏庭に入ってくる。
「あなた、どうしたんですか。学校の人、にしては見ない顔ですね」
近寄ってきた生徒が、首をかしげながら聞いてくる。
彼は予期せぬ事態に困惑し、気の利いた言葉を思いつけなかった。
「あ、僕は、え、か、かねのね?」
とっさに口を出たのは、そんなわけのわからない台詞だった。
「はい? ああ、カネノネさんですか」
「い、いやその、そうじゃなくて」
否定しかけて、少し考えて、やめた。
この時点で、彼の名はカネノネに決定されてしまった。
「あの、君、アネモネを知らないかな」
「アネモネって、花の?」
「うん、たぶんそう」
あそこにあったはずなんだけど、と花畑を指さす。
「何いってるんです、アネモネって3月いっぱいまででしょう。もう咲いてませんよ」
「そんな、だって今は」
「それにしても、もうすぐ春も終わりですね。こんなに草ものびちゃって。あんなに花も積もっちゃって」
生徒は伸びをして、カネノネのすぐ横にごろりと倒れた。
「あの花は、どうしたの」
「ああ、知らないんですか。何年か前、ここで神隠しにあった人がいるらしいんですよ。それ以来、あそこに花を放り投げると神隠しにあった人が願いを叶えてくれるって噂で、意外とみんなやるんですよ。誰が始めたか知りませんけど、花にとっちゃ迷惑ですよね」
せっかく咲いたのに、切られて投げられるだけなんて。
生徒は寝転がったまま、目を閉じていった。
手を頭の後ろで組んで枕代わりにしている。
「ここ、お昼寝には快適ですよ。本当に寝ちゃったら神隠しにあうかもしれませんけど」
カネノネは、生徒を見た。
そんなことをいっておきながら、彼は寝る気満々らしい。
カネノネももう一度横になってみる。
かごを芝生の上に置き、胸の上で手を重ね、草花に囲まれ、まるで永眠するかのように目を閉じた。

しばらく寝てしまったらしい。
目が覚めたのは、太陽が少々傾いた頃だった。
誰かの足音がして、がばっと起き上がる。
すぐそばに、どこかで見たようなおじいさんが立っていた。
お祝いのときにご用達の、あんな風な黒いスーツを着ている
それを見て、はっとした。
花畑にもアネモネが咲いている。
彼の放った花もそっくりそのまま落ちている。
ほっとしている彼に、おじいさんがいった。
「こんなところで寝てると風邪引くぞ」
やれやれ、といった様子で首を振る。
それから手に提げていた紙袋から、紅白饅頭の赤い方を取り出し、投げてよこした。
よく考えてみれば、裏庭にきてから何も食べていなかった。
そのせいか少しお腹が空いているような気もする。
いただきます、とお辞儀をして、饅頭を食べる。
半分くらい食べたところで、彼は花畑を眺めた。
彼が放ったアネモネの他に、真っ赤なアネモネがいくつも咲いていた。
「今日はずいぶん風が強かったね」
饅頭をくれたおじいさんにいう。
「何いってんだ、今日はほとんど無風だっただろう」
それを聞いて、彼――カネノネはくすりと笑った。
そして、手に持っていた紅い饅頭を花畑に向かって投げた。
饅頭はまっすぐアネモネの群れの中に飛びこんでいった。
「食べ物を粗末にするな」
おじいさんが額にしわをつくりながら注意した。
「ごめん、せっかくくれたのに」
「本当だ。まあいいけどな、あれもこれもお前のだし」
ほれ、とおじいさんは紙袋を差し出してきた。
そうっと受け取ると、意外に重く、中には色々な形の箱が敷き詰められていた。
「ああ、それから、これもお前のだろ。ここに置き忘れてたぜ」
「ここ?」
にやりと笑い、どこからともなくおじいさんはかごを出した。
カネノネは周りを見るが、持ってきたはずのかごがなかった。
花を入れておいた、あのかごだ。
「おっちょこちょいだな」
かごを放り投げてよこすと、おじいさんはくるりと背を向けた。
「じゃあな、暗くならないうちに帰れよ、カネノネさん」
手を振ったおじいさんの後ろ姿は、やけにかっこいい気がした。
カネノネ、と呼ばれた彼は、首をかしげた。
でも、おじいさんを呼び止める気にも、追いかける気にもなれず、ただ後ろ姿を見送った。
夕陽色になった裏庭を見渡す。
ベンチの端に、女の子がひとり、座っている。
こっちをじっと見つめ、身動きひとつしない。
彼は女の子に近づいていき、かごを渡した。
女の子は無言でそれを受け取って、少しだけ微笑んだ。
「もう使わないと思うから」
女の子――アネモネは、こくりとうなずいた。
少しの静寂の後、どちらからともなく言葉が出た。
「おめでとう」
「ありがとう」
そのふたつの言葉は、風に乗っていつまでも裏庭に響いて。
誰かの鳴らした鐘の音に、アネモネと共にかき消された。

< 了 >

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