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天才ぴかりん・作

危険人物保護協会


町の片隅で、小さな男の子が囲まれていた。
男の子は、壁のように立ちはだかる数人の少年たちを見上げた。
とても同い年には見えない。
男の子の方が、やたら小さいのだ。
少年たちのひとりが一歩進み出た。
男の子は背中を行き止まりの壁に押しつけて、ふるえるこぶしをぎゅっとにぎりながら、もう一度彼らを見上げた。
そして、強めにいった。
「お金は持っているけど、君たちにあげる分はない」
とたんに男の子は胸ぐらをつかまれ、高々と持ち上げられてしまう。
全体重が襟元にかかって、かなり苦しい。
もちろん、彼らの申し出を断った場合にこうなることは予想していた。
しかし男の子はおつかいを頼まれている。
自分で稼いだのならともかく、家のお金をおいそれと他人に差し出すわけにはいかない。
それも、自分の身の安全のためだけにだなんて。
男の子はなんとかして胸ぐらをつかんでいる少年をにらみつけた。
技ももってない、武道も習っていないただの男の子が、この体格差でできることはあまりない。
けんかをしても、たぶん負ける。
それでもお金をとられるよりはましだ。
そうして男の子が考えている間に、少年たちは攻撃を開始した。
バキッと横っ面を殴られた。
男の子の体は衝撃で吹っ飛んで、隅に置いてあったタルに激突した。
痛い。思っていたより、かなり痛い。
かぶっていた帽子が、少し遅れて地面にふわりと落ちた。
「う……」
いつの間にか、雨が降り出していた。
雨粒がポツポツ顔にあたる。
第2撃にそなえ、男の子は目をつむった。
少年たちがわらわら寄ってくる気配がする。
が、一瞬の後、場の雰囲気が一転した。
花のような甘い真っ白な香りが、ほのかにただよってくる。
少年たちがなにかをささやき合い、さっきまでの険悪な表情はおびえに変わっていった。
「まあ、弱い者いじめだなんて、爽やかな黄昏のお散歩が台無しですこと」
澄み通るような声に、男の子は目を開けた。
雨でくもっていたせいか、路地の入り口に傘を差した人影があるということしかわからなかった。
その人影が、くすくすと笑った。
ほぼ同時に、少年たちの遠ざかる足音が聞こえた。
男の子は雨粒を顔に受けながら、助かった、とおぼろげに思った。
ふいに、雨の感触がなくなった。
「まあまあ、大丈夫ですか、あなた」
目をこすってよく見ると、頭上に傘がかたむけられていた。
そうしてくれたのは、男の子より少し年上の女性だった。
いつの間にか拾っていたらしく、帽子をぽむぽむとはたいて、返してくれた。
「ありがとう、ございます」
帽子を受けとり、立ち上がってお礼をいう間、女性はずっと微笑んでいた。
そうっと帽子をかぶる様子をキラキラした眼で眺め、男の子と目が合った瞬間に、彼女はいった。
「まあ、あなた、なんて可愛いのかしら!」
突然のことに目をぱちくりさせていると、彼女は笑顔のまま続けた。
「私とお友達になりませんか。ねえ、いいでしょう」
よく見ると、女性の差していたのは、真っ白な日傘だった。
雨は霧のようになり、もうすぐやみそうな具合にまでなっていた。
それが、テルポとセラーの出会いだった。

静かな住宅地の一画。
一見普通の民家のような建物。
しかし表札には「危険人物保護協会」という文字が小さく入っていた。
広い応接室のソファに、保護協会と書いてある腕章をした男が、へろりと座っている。
彼は、手にした書類をちらりと見ては、はあっと深いため息をついていた。
そこへ、きびきびした歩きで入ってくる者がいた。
「おはよう、のれん。朝っぱらからダラダラするなよ、だらしない」
「ああ、おはよ、すだれ。なんだそれ、シャレか? 疲れた心によく響くよ」
「けんかを売っているのか」
首を振って、のれんはソファに座り直した。
すだれの方も、持ってきた数冊の分厚い本をテーブルに置き、ソファに座る。
「早く出かけろよ。それ、仕事だろ」
のれんの持っている紙の束を指さした。
「うん、そうなんだけど。行きたくない」
「はあ?」
「だってさあ、これ見ろよ。今回の標的」
のれんは紙束をすだれに渡した。
十数枚にさっと目を通し、すだれは顔を上げる。
「これがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって、ちゃんと読んだのかよ!」
「読んだけど」
「だって、この人、ものすごくいい人だぞ! 保護処分にする意味がわからん」
ばんっとテーブルに手をつき、のれんが半分立ち上がりながら叫んだ。
すだれは足を組み、微妙な苦笑いを返した。
改めて資料をめくる。
「セラー・ホワイト・ブランシュール。隣町に住む、白い魔女と呼ばれる魔術使い族の家系の150代目。一昨日の夕方、散歩の途中に魔術を使い、中学生数名を意識不明にする。昨日の同時刻、同じように、今度は近所の高校生3人を原因不明の昏睡状態にする。……これのどこがいい人なんだ」
呆れた物いいをするすだれから資料を奪いとり、のれんは違う項目を指さす。
「だから、ほらここ。3か月前、同級生にからまれていた少年を助けてる。それにその後、その子の母親の病気を治してあげてるんだ。意識不明になった奴らだって、この子にからんだ不良だろ」
「なるほどな。とりあえず、続きは隣町に行きながら話そう」
すだれはすくっと立ち上がり、有無をいわせぬ動作で素早く部屋から出ていった。

隣町へは、電車で10分くらいで行ける。
のれんは切符を買い、すだれは定期券を使って改札を抜けた。
この辺りは一軒家ばかりである。
車窓からの景色も、色とりどりの屋根やレンガの壁、広がる空が見えて綺麗だった。
今日は、よく晴れるという天気予報があたってか、すがすがしい青空が遠くまで続いていた。
「のれん。お前のいういい人≠ヘよくわかったよ」
その景色を眺めながら、すだれは声をかけた。
のれんはむすっとして隣に腰かけている。
「だが彼女は魔女だ。危険人物なんだよ」
「いい魔女だっているだろ。彼女はいい人だ。いい人はいい魔女だ。危険人物じゃ、ない」
「おめでたいな。危険人物の反対はいい人なわけか」
「そうだろ?」
すだれは青空にぴっと入った飛行機雲を目で追いながら、ため息をついた。
それから、少し低い声でつぶやいた。
「違うね。いい魔女なんてありえない」
急に視線が鋭くなったすだれの隣で、のれんは首をかしげた。

ほんの少しにぎやかなだけの駅前を、すだれはすたすたと歩いていく。
資料には、標的である白い魔女がどこにいるのかも記されていた。
怒ったような調子のすだれに少々おびえながらも、のれんは後をついていった。
彼らが向かった先にあったのは、ところどころ丸かったり四角かったりする、不思議な建物だった。
門には「児童館」と書かれている。
のれんは懐かしいな、と思った。
児童館なんて、子供の頃しか行く機会がない。
いわば子供の楽園みたいなものだ。
ちょっと大きくなると、もうそこには居場所がなくなってしまう。
ひとときだけの遊び場。
そんな聖域のような場所に、すだれは簡単にひょいと入っていった。
すだれはのれんよりも若いし、まだ子どもといえばそうかもしれないけれど、少なくとも児童ではない。
驚きつつも、門前に突っ立っているわけにもいかず、のれんもすだれに続いた。
広い敷地のその児童館には、大きな中庭があった。
たくさんの子どもたちが遊んでいて、兄弟だったり親御さんだったりが日陰のベンチに座っている。
その中に、魔女もいた。
魔女は微笑みながら、遊び回る子どもたちを観察していた。
彼女の視線を追っていたすだれは、いきなりのれんの肩に、ぽん、と手を置いた。
「あれが標的の魔女だろ。お前が本当に、彼女を危険人物じゃないと判断するなら、会話でもしてろ。俺は少し用がある。すぐ戻るから」
「え、ちょっと」
のれんはわけがわからないまま、中庭に置いてけぼりにされた。
仕方がないので、すだれのいう通りにする。
資料を鞄にしまい、髪の毛をささっとなでてから、ベンチの並ぶ日陰の方向へ歩み寄る。
魔女セラーの横まで行くと、彼女はきょとんとした顔でのれんを見上げた。
「お隣、いいですか」
なるべく笑顔を心がけて、自然な感じで尋ねてみた。
セラーはにこりと笑い、首を縦に振った。
そして、ベンチに置いていた白い日傘をひざの上で持ち、場所を空けてくれた。

一方、児童館を出たすだれは、一軒の民家に不法侵入していた。
呼び鈴を鳴らしても出ないのだから、仕方がない。
嬉しいことに、玄関に鍵はかかっていなかった。
2階の子ども部屋のドアを勝手に開ける。
パステルカラーで統一された可愛らしい部屋だ。
やさしい色のベッドに、小さな男の子が寝ている。
学校が休みだからか、まだ夢の中のようだ。
すだれはその子の肩をつかむと、頭をぐらぐら揺らした。
「寝てる場合か、起きろ!」
「う、なんですか、セラー……」
うっすら目を開き、男の子は驚いて身を引いた。
「だ、誰ですか、あなた!」
「俺はすだれ。お前はテルポだろ。セラーに助けられたっていう」
「なんでそんなこと。もしかして、かつあげですか」
「まさか」
鼻で笑って、すだれは窓を開けた。
人がらくらく通れるくらいの、大きめの窓だ。
「お前、いじめられてたらしいが、相手がどうなったか知ってるか」
「え、と。転校したり不登校になったりしたらしいとは聞きましたけど」
「いいや、実際は違うだろ?」
テルポは子どもっぽい仕草で首をかしげた。隙だらけだ。
「お前が本当に知らないとすると、あの魔女は本当にいい人≠ゥもな」
「魔女ってセラーですか? セラーはいい人ですよ、僕の大切な友達です」
まじめな顔で訴えるテルポの姿を、すだれは好ましく思った。
でも、今はなごんではいられない。
「そのセラーさんが、大変なことをやらかしてるぞ」
ぴらっと一枚の紙を出す。のれんが持っていた資料だ。
セラーの起こした事件の内容が、少し詳しく書いてある。
眉をしかめてその紙の内容を追ったテルポは、ショックを受けたように目を見開いた。
紙を持つ手がゆるゆるとふるえる。
「わかったろ。悪いがついてきてもらう」
すだれはおかまいなしに、がしっとテルポの腕をつかんで引き寄せた。
「ちょっと、何をいきなり、うわあっ」
テルポの言葉は最後までは紡がれなかった。
すだれがテルポをひょいとかかえて、窓から飛び出したのだ。
空中に浮かんだまま、急スピードで、ふたりは児童館へ向かった。

セラーの隣に座ったのれんは、子どもたちを見るふりをして、セラーの気配をうかがっていた。
一応、いい人だって信じているつもりだ。
でもすだれの言葉も妙に引っかかる。
眉をしかめて、むーんと考え込むのれん。
どうやって会話を始めようか悩んでいるうちに、セラーの方が先に口を開いた。
「私に用事があるのでしょう」
びっくりして、のれんはセラーを見た。
しかし彼女は相変わらず、微笑みながら子どもたちを眺めたままだ。
「どうぞ、おっしゃってくださいな」
セラーが笑みを深めた。
のれんは暖かい微笑みをたたえたその横顔を、なぜか不気味に感じた。
話そうとして口を開けてみるけれど、やたらと唇が乾いて、のどがからからになる。
「あの、セラーさんは、いい魔女ですよね」
やっとのことで、吐き出すようにしてそれだけいった。
「まあ、どうしてそうお思いになったの」
手を口にあてて、ふふふ、とセラーが笑う。
子どもたちの楽しそうな笑い声が遠くに聞こえ、日陰を作っている木々の色がどんよりとくもっているように見える。
セラーはにこにことやさしく微笑んでいるだけなのに、のれんは首に剣を突きつけられているような感覚に襲われる。
のれんは冷や汗が止まらなくなっていた。
「あ、あなたが危険人物じゃないとわかればいいんです、けど」
「そう。そのために、わざわざ私に会いにきてくださったのね」
セラーはくるっと振り向き、のれんを視界に入れた。
もう彼女は、微笑むのをやめていた。
困ったような、苦笑のような表情で、目だけが冷たく光っていた。
「保護とは名ばかりの邪魔をするために」
驚くほど低い、冷たい声だった。
のれんは金縛りにあったように動けなくなっていた。
「自分でいうのもなんですけれど、私、自分でもいい魔女だって思ってます」
ピシャアッ。
雷が落ちた。
夕立にはまだ早すぎる時間だった。
セラーは傘をぱっと開いて、ベンチを立った。
大粒の雨が、中庭に降り注いだ。
吹き抜けの空から、雨と一緒に降ってくるものがあった。
すぶぬれになりながらなんとかして空を見上げたのれんは、その姿を確認してほっとした。
雨粒が跳ね返る地面に降り立ったのは、テルポを連れたすだれだった。
すだれはテルポをかかえたまま、指をぱちんと鳴らした。
のれんの体の緊張がとけて、ベンチにずるりともたれかかる。
セラーはすだれを無表情で見つめながら、静かに口を開いた。
「あなたも、保護協会の方ですか」
テルポをそっと地面に降ろし、すだれは答えた。
「まあね」
「魔女連盟でも有名ですわ、多大な魔力を持ちながら、魔術師学会を裏切った者がいると」
「別に裏切ってない。まったく、魔法使いに会うといつもこれだ。俺がどんな仕事をしようが、あんたにつべこべいわれる筋合いはないね」
ぴしゃっといい切り、すだれは軽く息をはいた。
それから、テルポの背中をそっと押した。
一歩前に出されたテルポは、一瞬だけ顔を上げ、セラーの顔を見ると、またすぐにうつむいてしまった。
激しかった雨が急にぱらぱらとやさしくなり始める。
雲の隙間から日の光が差しこんできて、セラーやテルポを照らす。
「セラーは、どうしてここにきたんですか?」
ぽつり、とテルポがつぶやいた。
「別に、ただの散歩ですわ」
「散歩……好きですよね、セラーは」
テルポはほのかに微笑み、顔を上げた。
まっすぐにセラーの瞳を見つめている。
笑っているはずなのに、セラーには泣きそうな顔に見えた。
セラーの肩がほんの少しだけ、ぴくり、とはねた。
「僕は、この人たちのいうことを信じません。セラーのいうことが真実だと思っています。だから」
セラーの顔には、ほんのり動揺が浮かんでいた。
「転校していった、僕をいじめていた人たちが、どうなったのか。本当のことをいってください」
しっかりと目を見たまま、テルポはいった。
セラーは金縛りにあったように固まっていた。
いつもなら笑ってつける嘘も、テルポの真摯な大きな瞳に見つめられていては、どうしてものどにつっかえて出てこない。
誤魔化しても、すぐに見抜かれそうで。
もしも嘘も誤魔化しも全部ばれてしまったとき、テルポはどうするだろう。
それは、魔女セラーが今まで生きてきて初めて感じた恐怖だった。
セラーは何もいえないまま、目を伏せた。
「いえないんですか、本当のこと」
悲しそうに、テルポも目をそらした。
「僕にちょっかい出してたからとはいえ、やりすぎです。そんなことをされても、嬉しくありません」
ばっとセラーが顔を上げた。
眉をハの字にして、弱った顔で、テルポを見つめている。
今にもくずれそうに、よろり、と体がかたむく。
魔女とはかけ離れた姿だった。
しかしそれも、ほんの少しの間のことだった。
テルポがにっこりと笑ったのだ。
「だけど、僕が弱っちいのが原因ですから、許します。これからは強くなります。そうしたらセラーはもう人を傷つけたり眠らせたりしなくていいでしょう」
セラーはあっけにとられた表情でテルポの様子をうかがっている。
「私のこと、嫌いに、なってませんの?」
「だって僕のためにやったんじゃないですか。たしかに度は過ぎてたし、嘘ついてましたけど、嫌いにはなってないですよ。でも、今度からは気をつけてくださいね」
「そう、そうですわ、私、これからはもっと寛大な心を持ちます」
手をとり合って喜ぶふたりの上には、青空が広がっていた。

すっかりかやの外だったのれんとすだれは、もう中庭から立ち去っていた。
「なあ、保護処分中止してよかったのか」
前をすたすたと歩くすだれに、のれんが声を投げかける。
「別にいいんじゃないか。あのテルポって少年が悪に染まらない限りは、あの魔女は危険人物枠から外れるしな」
すだれはくるりと振り返ると、ポケットにつっこんであった携帯電話を出した。
液晶画面に「セラー・ホワイト・ブランシュールを危険人物枠から一旦外すから、もう保護はいいよ。ふたりでなんか美味しいものでも食べてくれば?」というメールの文章が映っていた。
「なんだよそれー! 連絡なら俺に直接いれればいいじゃないか」
「しょうがないだろ、お前まだ携帯電話持ってないんだから」
のれんが唇をつきだして、すねた顔をする。
「そういえば、のれん。今も危険人物の反対はいい人だと思ってるのか」
「うん」
「どうだった、白い魔女はお前に対してもいい人≠セったか」
「う、うーん」
口ごもるのれんの顔がおもしろくゆがんだので、すだれは思わずぷっとふきだした。
「なんだよ」
「いい人じゃなかっただろ。あの魔女は」
駅前の自動販売機に近づいていきながら、お財布を出す。
「どうせ力のあるやつなんて、冷淡か自己中心的か、どっちかなんだ」
「すだれはどっちなんだ?」
「自己中、かな」
「ふーん」
自分から尋ねておいて、なんて興味のなさそうな返事なんだろう。
「いい人だから危険人物になるやつもいるってことさ」
小さくつぶやかれた言葉は、のれんには届かないまま消えた。
すだれは暖かい缶をふたつ買い、片方をのれんに差しだした。
「俺のおごりだ、受けとれ」
「えっ。すだれって意外と優しいんだな。ってこれかよ!」
のれんの手にちょこんとのせられたのは、思いっきり季節はずれの飲み物だった。
「こんなに暑いのに、おしるこかよ」
「なんだよ。はっ、まさかお前、コンポタ派なのか!?」
「いや、違う。もっとサラサラしたのが飲みたかった。コーヒーとか」
「そんなのは邪道だ」
すだれは美味しそうに小豆入りのおしるこを飲みほした。
「この甘党め」
のれんはべたべたする甘いおしるこをなかなか減らすことができないまま家路についた。

< 了 >

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