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天才ぴかりん・作

よみえのせいかつ


詠江の通う学校は、日本初、縦長校舎を採用した超高層の建物である。
全62階からなるその高等学校で、彼女は普通の女子生徒として、様々な友人たちと関わり合いながら生活していた。


◇入学式の次の日

「1年桃組、32階のつきあたりの教室かあ」
詠江は校庭に掲示された地図と自分のクラスとを確認して、つぶやいた。
もちろん昨日も確認したが、この学校は迷いやすい。
少し遅れ気味に学校に着いたせいか、周りには人がいない。
他の生徒はもっと早くに登校しているのだろう。
みんな新しい学校生活に胸を躍らせているに違いない。
「わたしだって、そうだもんね」
にこっと笑うと詠江は校舎に入っていった。
「昨日の自己紹介のおかげでクラスメイトの顔と名前もばっちりだし」
がらんとしたエレベーターに乗って、歌うように囁く。
エレベーターのドアがゆっくりと開いた。
まだ真新しい綺麗な廊下が続いている。
窓の外を眺めると、青空と小さな建物たちが見える。
高い階層の窓からの景色は、先生にも生徒にもいたって好評らしい。
みんなが絶賛する景色を見ていたら、詠江は気分が悪くなってきた。
眼下に広がる小さな世界がぐにゃぐにゃになって見える。
高所恐怖症なのである。
眉をしかめていると、ふいに詠江の頭の中に「ショック療法」という言葉が浮かんできた。
そう、詠江は高所恐怖症が何かのショックの拍子に治るのではないかと考えたのだ。
次に頭に浮かんだ言葉は「思い立ったら即行動」だった。
大きな窓を開けて、手すりに足をかける。
冷たい風が頬の横を通りすぎ、詠江の体は外にかたむいた。
「うわああああっ」
耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、次の瞬間、詠江は廊下に引き戻されていた。
何が起きたんだろう、とあたりを見回す。
彼女の下に、顔を真っ青にした叫び声の主が倒れていた。
昨日のホームルームで唯一自ら学級委員を志願した生徒で、詠江にいわせれば変わり者だ。
「あれ、田中かなたさん。大丈夫ですか」
「それはこっちの台詞だ。お前、何やってんだよ!」
詠江はゆっくり立ち上がり、かなり怒っているらしいその生徒に棒読みのような声をかけ、手をさし出した。
「大したことなさそうでよかったです。田中かなたさん」
「質問にこたえろ。それにフルネームで呼ぶな」
詠江はとびおりようとした経緯を話した。
それを聞いた田中かなたは、あきれた様子でため息をついた。
「落ちた後はどうするつもりだったんだ」
「はね返って戻ってくる予定だった。バンジージャンプってやつよ」
人さし指を立てて胸を張って詠江がこたえる。
同時に授業開始の鐘が鳴った。
「あ、早く教室に行かなくちゃ」
スキップで教室に向かう詠江の後ろ姿を、田中かなたはのろい歩きで追いかけた。
田中かなたの詠江に対する第一印象は「変な人」だった。



◇古典の時間

詠江は窓際の、前から2番目の席である。
前には田中かなたが、後ろには中野よいという女の子が座っている。
黒板の前には、たれ目でカーディガンをはおった女の先生が立っている。
「中野さん」
おっとりした声で先生が呼ぶ。
中野よいはビクッとふるえて顔をあげた。
問題を見る前から、顔に「わからない」と書いてある。
先生が黒板の文章を指さし、これ、と笑顔でいった。
とたんに、よいは焦りはじめる。
文法は彼女の苦手分野のひとつだ。
焦りがどんどん深刻になっていくよいの机に、詠江は小さな紙切れをさっと置いた。
はっとして、よいは詠江を見る。
詠江は親指をぐっと立てた。
小さくうなずいて、よいは紙に書いてある言葉をぼそぼそと口にした。
「リ、リボン結び、です」
「はい?」
先生は目を丸くして固まった。
よいの頭の中を「まちがえた」の5文字がかけめぐった。
紙を確認するが、たしかにそう書いてある。
助けを求めて詠江に目を向ける。
ところが詠江は首をかしげ、助け舟を出すどころか、今の答えが正しいと確信していたらしい。
うつむいたよいに、あわれみのまなざしとくすくす笑いが突き刺さる。
見かねた田中かなたが、つっ立ったままの先生に向かって答えた。
「係り結び」
「え、ああ、そうですね」
すぐにチャイムが鳴った。
号令に合わせて、田中かなたはガタンと音を立てて席を立った。
中野よいは授業が終ったとたんに本をばっと出して読み始めた。
無類の本好きなのだ。空き時間はいつも本に集中している。
さっきまでの真っ赤な顔は、本への真剣な眼差しによってきりりと変化していた。
だから、前の席にいる詠江の頭を田中かなたが教科書で軽くたたいたのにも気づかない。
「なにが『リボン結び』なんだよ」
「わたしじゃなくて、よいちゃんがいったの」
「お前の策略だろうが。教えるならせめて正しい答えにしてやれよ」
「策略? リボン結びの方が正しいに決まってるじゃない。みんなが間違ってるのよ」
また詠江の頭がぽこんとたたかれる。
詠江は頭をおさえ、頭皮が刺激されて髪がのびるかな、などと考えていた。
変な顔で笑っている詠江に、田中かなたはため息をつきながら教科書をもう一発お見舞いした。



◇人間とは

詠江の学校の国語の先生は、おっとりしていてマイペースな女性である。
この日、詠江たちはそれぞれ問題の書かれたプリントをやっていた。
しかし国語というのは面白いもので、最後にはやっぱりお楽しみがあった。
“考えてみよう:次の〜の部分にあなたが考えた日本語を入れて文章を完成させなさい。
 「人間とは〜な生物である」”
もちろん、この問題の前には、関係した論文なり小説なりがあり、正しい答えが用意された問題もある。
でも、これは違う。
人それぞれの意見が尊重され、さっきまで読んでいた文章を無視した回答をしても、問題はない。
詠江の国語の先生は、国語のそういうところが好きだった。
この問題も彼女のツボにはまったらしく、授業終了間近になった頃、先生は上機嫌で喋りだした。
「ねえ、みなさん。この『考えてみよう』ってところ、発表しましょうよ」
えー、とざわめく教室を笑顔で鎮圧し、先生は適当に生徒を指名していった。
「人間とは摩訶不思議な生物である」
「人間とは自分勝手な生物である」
「人間とはひ弱な生物である」
「人間とは悲しいかな生物である」
「人間とは愚かな生物である」
「人間とは……」
たくさんの意見を、先生は頬に手を当てながら聞いていた。
「批判的なものが多いみたいだけど、みなさんいろんな事考えて、そういう結論を出しているんでしょうね。田中くんは、どう?」
「はい、人間とは」
ちらりと詠江を見て、田中かなたは続けた。
「人間とは、かなり変な生物である」
先生はふむふむ、と笑顔で頷いている。
「ちょっと、なんでわたしを見たの」
「別に、ただお前の顔が浮かんだだけだよ」
「それじゃ最後は、山田さんね」
呼ばれて、詠江はにこっとして立ち上がった。
別に立つ必要はないのだけれど、詠江はかっこつけるのが好きなのだ。
「わたしは、人間とは、素晴らしく素敵なナマモノである、と思います!」
自信たっぷりに詠江はいい放った。
教室はしーんと静まりかえり、詠江ひとりが感動にひたっていた。
その余韻をかき消すように鐘が鳴り、号令がかかった。
礼をした後に、田中かなたが振り返り、詠江に小声でいった。
「漢字の読み方、違ってたぞ」
詠江はきょとんとして、それからにっこり笑った。
「大丈夫、わたしはかなたくんのことも好きだから」
まったくかみ合わなかった会話に、田中かなたは深くため息をついた。



◇うれしはずかし携帯電話。

中野よいが学校を休んだ。
先生によると、風邪らしい。
彼女は病弱というわけではないが、か弱い印象があるので、詠江はいたわりの言葉をメールに載せて送ることにした。
「かなたくん、携帯電話貸して」
前の席の田中かなたの背中をつつく。
委員の書類を作成していたかなたは、ポケットから携帯を出すと無言で詠江に渡した。
詠江は受けとった携帯のボタンをいじくり、中野よいのメールアドレスを探し当てた。
簡潔に心配している旨を伝え、最後に自分の名前を記しておいた。
ボタンひとつで送信完了するこの小さな機械を眺め、すごいものだと感心する。
授業が始まり、詠江は携帯を自分の服のポケットに放り込んだ。
次の休み時間、よいから返信があった。
「詠江ちゃん、心配してくれてありがとう。 よい」
ただそれだけしか書いていなかったけれど、詠江はなんだか嬉しくなった。
前の席でまた作業をしている田中かなたの背中を、携帯でどすどすとつつく。
「なんだよ」
「見てこれ、よいちゃんから! ありがとうだって、可愛いねえー。ふふふっ」
「ああ、そう。よかったな」
そっけなく返事をして、かなたは再度机に向かう。
しかしすぐに振り返り、詠江が掲げている携帯電話に目を移す。
「おい、それおれの携帯電話じゃないか。どうしてお前が持ってるんだよ」
「どうしてもなにも、さっき貸してくれたからよ」
「自分の携帯はどうしたんだよ」
「1週間くらい前から動かなくなっちゃって」
詠江は自分の携帯電話を出してかなたに見せた。
かなたはそれを手に取り、少しいじってみて、どんっと音を立てて詠江の机に置いた。
「これは、ただの電池切れだろ!」
叫んでから、携帯電話について説明し始める。
メールの返事にうかれた詠江は、かなたのわかりやすい説明を右から左へと聞き流していた。



◇掃除のパートナー

週に3回、放課後に掃除をすることになっている。
校内が広いわりに生徒が少ないので、先生も総動員のにぎやかな掃除だ。
山田詠江は、一緒に階段を担当している隣の席の野村三郎に声をかけた。
「野村くん、掃除しに行こう」
背中をぽんぽんたたいて声をかける。が、まったく応答がない。
彼は1日中寝ている。授業中も休み時間も、登下校時もほとんど寝ている。
今も机につっぷして睡眠中だ。
「おーい、掃除だってばー」
さっきより少し大きめの声を出して、今度はゆさゆさ揺する。
だんだん揺れが強くなっていき、詠江はうっかり手をすべらせて、力いっぱい野村三郎をつきとばしてしまった。
がたーん、と音を立てて、野村三郎が倒れる。
「だ、大丈夫、野村くん!」
詠江は急いで駆け寄ると、彼の体を抱きおこした。
見た感じ、怪我はなさそうだ。
詠江はほっとした。
野村三郎は「うーん」とうなり、もぞもぞ動くと、だるそうに目を開けた。
しょぼしょぼと瞬きをくり返し、伸びをした。
伸びた腕は、野村三郎の顔を覗きこんでいた詠江のあごに見事にクリーンヒット。
「ぐふうっ」
衝撃で、詠江は舌をかんだ。
口をおさえて目をうるませる。
「あれ、山田さん、どうしたの」
目を覚ましてもまだ寝ているような顔で、野村三郎は首をかしげる。
「早く掃除に行ってやれ」
一部始終を見ていた田中かなたが、額に手を当てながらいった。
ふらふら教室を出ていく野村三郎の後ろを、詠江がついていく。
教室を出るまでに、野村三郎はドアにぶつかり、詠江は柱の角に激突していた。
ほうきで床をはきながら、田中かなたは深いため息をついた。



◇テストって

一月末から二月くらいになると、新一年生になるべく受験生たちがわらわらと集まってくる。
願書を出したり、面接したり、いろいろな用事で彼らは学校にやってくる。
もちろん在校生にしてみれば懐かしい行事であり、初々しい姿を眺めては、自分たちはどうだったかと思い返し、そんな話題が増える。
詠江たちも窓から見える中学生を見ていた。
「もうそんな季節なんだ。みんな可愛いねえ」
にこにこと笑いながら受付に並ぶ黒い頭を数える詠江。
隣の窓から同じように外を見る田中かなたが、変なものを見るような目で詠江のほうを向いた。
「お前、下見ても平気なのか」
「ん、まあね。10階くらいの高さだったらなんともないよ」
「ふうん。ならよかった」
また受験生の観察に戻る詠江たち。
そこを村上学が通りかかった。
外を見ているふたりに気づいて、村上学は眼鏡を直しながら寄ってきた。
「やあ、田中。受験の頃が懐かしいなあ」
田中かなたは嫌そうな顔で振り向いた。
「自慢じゃないが、僕は推薦で一発入学だったよ」
ははは、と笑いながら村上学はいう。
「だからなんだよ。おれは推薦は受けてないっていっただろ。それに、推薦だろうと一般だろうと入学したってことには変わりない」
腕を組んで、田中かなたはいった。
「そうそう、僕も去年、一応試験問題をやったけど――」
「わかったわかった。点数が俺より上だったんだろ」
窓の外を見ていた詠江は思い出したようにぱっと振り返った。
「ねえ、この間のテスト結果、見にいこうよ」
この学校はテストが終ると学年ごとに五十位までを廊下に掲示する。
連休後なんかだと順位ががらりと変わったりして面白い。
特に首位争いをするわけではなくむしろ五十位に入ることさえ稀な詠江も、テスト後のこの行事をいつもこっそり楽しみにしている。
「もう見てきたぞ」
村上学が急に低い声を出した。
「私どのくらいだった?」
「知らないね。君はいつものように欄外だろう」
「そっかー。今回はけっこういったように思ったんだけどなあ」
次に頑張ろう、と詠江は楽しそうにとびはねた。
「で、俺は?」
「ふん。そんなことどうでもいいが、どうしてもっていうなら教えてやるよ。お前はいつも通り三位をキープだ」
「あ、そう」
別段気にとめることもなく田中かなたはいった。
機嫌が悪いってことは、村上はいつも通り五位か六位ってとこだな。
村上学のしかめっつらを眺めながら、頭の中でつぶやいた。
詠江もそれがわかっているのか、なぐさめの言葉をかけようと村上学の頭をたたいている。
「まあまあ、次があるよ」
「山田さんにいわれなくてもわかってるから。ちょっと、勝手に触らないでくれる」
「だいたい、学くんはいつも頑張りすぎなんだよ。もうちょっと手抜きしてもいいんじゃないの」
詠江は胸を張り、人差し指を立てて左右に揺らした。
「テストって、クイズでしょ」
ぽかんと口を開けて目を丸くする村上学。
窓の外に目を移し、ふう、と息をはく田中かなた。
「ね!」と同意を求めながら詠江は何度も村上学の頭をたたいていた。



◇席がえ

「あ、前の席に替えてくれ」
田中かなたが手をあげていった。
くじに書かれている数字は、一番後ろの席を示していた。
かなたは背が低い。そのせいで後ろの席からでは黒板がよく見えないのだ。
それに、勉強熱心なかなたにとっては、前の席のほうが都合がいい。
「いや、別にお前の背でも心配ないぞ」
頬杖をついてかなたにいったのは村上学だった。
にやり、と嫌な笑みを浮かべている。
彼も勉強熱心ではあるが、くじではいつも後ろの席を引き当てる。
入学してから一度も前の方の席に座ったことがないと本人は主張している。
視力が悪いくせに、眼鏡がよほど強力らしい。
と、そんなことはおいておいて。
かなたは疑問符を顔にうかべて、学を見た。
教室を見回し鼻で笑うと、学はいった。
「どうせ奴等は寝るからな」
机に伏せていたクラスメイトたちが、やく一名を残し、がばっと姿勢を正した。



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