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天才ぴかりん・作

もんじゃ焼き計画


1.謝衣(しゃい)
 ひどく寒い日だった。だけど子供は風の子。そでを肩までまくり上げ、マフラーを巻き、私は道場をとび出した。寒さで頭がさえて、はく息が白い理由を意味もなく考えたりした。まだクリスマスは先だというのに、街はきらきら輝いていた。気の早い店はお正月のおもちゃまで用意している。シシマイは今年もきてくれるかな。それから――。
 うちは築何十年もの平屋。あちこちボロボロだけど、住むのに支障はない。それに、けっこう広い。お父さんが給料をはたいて買っただけのことはある。私は好きだ。お父さんのことも、それなりに好きだ。私が小さい頃からしょっちゅうどっかに出かけていて滅多に会わなかったけど、たまに帰ってきて世界不思議発見を見ては「お父さんはもっとすごいところに行ってるんだぞう」と自慢していたのを憶えている。
 いちばん広い畳の部屋に、お姉さんたちが集まっていた。私は四人姉妹の末っ子だ。上から、那茂、臨、蜆子、謝衣。那茂は泣いていた。那茂はもう大人だ。いちばん年上だからお父さんとの思い出もいちばん多い。だけど大人が泣いているなんて、なんだか興ざめだった。感傷にひたりたくなくなった。違う意味でかなしかった。蜆子も泣いていた。彼女は私とふたつしか違わないけど、やたらお父さん子だったから、わかる。いつもはほとんど感情を表に出さないクールなやつなのに、やっぱりお父さんのこととなると話は別なんだ。臨は、落ち着かない様子でそわそわと体を揺らしていた。
 三人の前に小さな箱があった。どうやら骨はあんまり拾えなかったようだ。まあ、何もないよりはましだ。近寄って見ても、ただの箱。全然実感がわかない。
「ただいま。お母さんは?」
 三人がくるっとこっちを向いた。声をかけるまで気づかなかったらしい。臨が明るい声で答える。
「おかえり。お母さんなら、逃げたよ」
「保険金を半分持ってね」
 那茂がつけたした。
 お母さんともあろう人が、お金を盗んで逃げるなんて、ドラマでみたいで笑ってしまう。でも悔しそうな那茂とかなしそうな蜆子の前では、とてもじゃないけど笑えなかった。ああ、なんだかこの暗い空気の中にいるのがつらくなってきた。こんなことなら、もっと道場でゆっくりしてくるんだった。師匠の秘伝奥義の見学したかったのに。一大事だと聞いて急いで帰ってきてこれか。今更道場に戻るわけにもいかないしなあ。お姉さんたちも、もう大きいんだからしっかりしてほしいよ、まったく。
 ところで、さっきからずっとふらふらしている臨姉はなんなんだ。見てるといらいらしてくる。なにか期待してるみたいだけど、そんなにもにょもにょ動かなくてもいいじゃないか。
「あのさ、臨姉。なにかいいたいことでもあるの?」
 私は頭をぽりぽりかきながら尋ねた。
 臨姉は、よくぞきいてくれました、といわんばかりにすっくと立ち上がった。着物の裾がふわっと揺れる。にこにこと笑いながら、手をぱんぱんとはらう。その音に、泣いていたふたりも振り向いた。
「お葬式が終ったら」
 だんっと足を一歩前に出す臨。
「もんじゃ焼き屋をやろう!」

2.那茂(なも)
 いったいなにをいってるんだ、と思った。涙もひっこんだ。この和服おたくは、親がいなくなったというのに、ふざけているのだろうか。それとも、沈んでいる私たちのために、わざと冗談をいっているのか。臨の目を見たら、どっちの考えも違うと気づいた。彼女の目に宿っているのは、期待と希望。すごい強さ。圧倒された。いつもほわほわ笑ってくれる優しい臨が、こんな主張をするなんて。もしかしたらショックでおかしくなったかもしれない。もう一度臨の瞳を見つめる。いや、やっぱりこれはしっかり意志を持っている目だ。私は、少し動揺した。仕方ない、予想外のことには弱いんだから。迷ったものの、私は何度か咳ばらいをしていった。
「とりあえず、夕ご飯にしましょう」
 今の家事担当は臨だ。親がいないときに台所を制するのはいつも臨だった。私は仕事があるし、蜆子は受験生、謝衣は習い事をしている。臨がいちばん暇なのだ。彼女は家事が好きだといっていたけれど、おしつけてしまって、悪いと思う。同時に、感謝もしている。臨は本当にいい子だ。
「うん、じゃあ用意しちゃうね」
 臨はたすきをかけながら台所へかけていった。慣れたものだ。私はため息をついて、ちゃぶ台を出した。そこへ早くも戻ってきた臨がガスコンロを置いた。――ん? ガスコンロ? 私が首をかしげている間に、今度はどでかい鉄板が現れた。臨は台所とこっちの部屋をすたすた往復し、てきぱきと夕食の仕度を進めている。人数分のお皿に、ボールに入った野菜と謎の液体。お好み焼き返しみたいな小さなヘラがいくつか。こんな道具がうちにあっただろうか。どうもうまく反応できない。鉄板に具を盛る臨を、謝衣が細い目で見た。
「まだなんの許可も出てないのに、もう予行練習?」
「大丈夫。だめなんていわせないくらい美味しいの作るから」
「わざわざこんなもの出さなくても、ホットプレートあるじゃんじょ」
「ふ、甘いわね。やるなら鉄板って約束でしょ」
 いつそんな約束したんだよ、とつぶやく謝衣を無視し、臨は手際よく具でドーナツ型を作っていく。
「なにこれ? お好み焼き?」
 ついそんなことをいってしまった。だって見たことなかったのだ。とたんに臨と謝衣がばっとこちらを向いた。蜆子もちらりと視線だけ送ってくる。そんなにまずいことをいったのだろうか。
「那茂姉、もんじゃ焼き知らないの?」
「別に知らないわけじゃないわよ。食べたことはないけど」
 嘘だ。ちょっと強がってみた。本当は知らないに等しいくらいの知識しかない。
「そんなの知らないのと一緒でしょ」
 む。たしかにそうだけど、そんないい方しなくてもいいじゃないか。
「まあいいじゃない。私も一度しか食べたことないし」
「私は道場でよくごちそうしてもらう」
 蜆子を見ると、無言のまま唇の端をつりあげた。これは、経験があるに違いない。ちょっと悔しい。
 鉄板の上では、具と液体がぐっちゃぐっちゃと混ぜられて、妙な物体ができあがっていた。食べる前のものなのか食べた後に出したものなのか、よくわからない。臨はヘラを持つと、ほんの少しを味見した。一拍おいてにやりと微笑み、自信ありげに「どうぞ」という。このヘラで食べるのか。謝衣と蜆子は臨がやったように器用にヘラを操り、もんじゃ焼きとやらを食べている。よほどおいしいのか、ほっぺが落ちそうなとろけた顔をしている。私はさっきから何度も挑戦しているが、どうもうまくすくえない。
「お姉ちゃん、こう。ひきずって、鉄板に押しつけて焼いて、はい」
 臨がヘラをくるりとまわすと、もんじゃ焼きがくっついてきた。よく見て、真似る。――できた! 嬉しい。早速食べよう。つい顔がにやけるのをなんとか制しながら、ヘラを口に運ぶ。
「熱っ!」

3.蜆子(しじみこ)
 臨姉作のもんじゃ焼きはすごくおいしかった。今までに食べたことがないくらい――といってもまだ一度しか食べたことないけど――おいしい。ついつい手が伸びる。謝衣も、さっきからもくもくと食べ続けている。横ではしかめっ面で「熱い熱い」と那茂姉が騒いでいる。ちょっとうるさい。臨姉が水を差し出す。
「お姉ちゃん、ふうふうしてから食べないと」
「わかってるわよ。次はちゃんと食べるから。かして」
 臨姉の持っていたヘラを奪い、那茂姉は再度挑戦する。無表情のままもぐもぐと口を動かしている。動きが止まる。悔しそうに「ううっ」とうめき、もう一口。観念したようにつぶやく。
「……おいしい」
 その一言で、全てが決まった。
 お葬式はあっという間だった。忙しすぎてあまり泣く暇がなかった。だけどやっぱり悲しかった。時間が空くとぽろっときた。こっそり泣いておいた。ポーカーフェイスには自信があるつもりだったのに、目が赤かったせいで泣いたのがばれた。那茂姉にすごく優しく慰められた。うざったくてつい冷たくあしらってしまった。でも本当はちょっと嬉しかった。ひとりじゃなくてよかったと思った。ぜったいいってやらないけど。
 保険金や貯金なんかで、なにもしなくても一年くらいは暮らせることがわかった。謝衣が道場を、臨が大学を、私が受験をやめれば、の話だけれど。家族のためなら、臨は喜んで了承するだろうし、私だって無理に大学に行く気はない。ただ、謝衣は断固としてゆずらない。みんな知ってる。彼女の生きがいだ。なにがそんなにいいのかよくわからないが、謝衣はなんとしても道場をやめないらしい。
 もうひとり、意見を曲げない者がいた。臨姉だ。もんじゃ焼き屋をやるといってきかない。ただいい張るだけじゃない。必要な書類や道具を全て集め、いつの間にやら資格もとって、経費と生活費と収入と、とにかくお金のことも計算しきっていた。
 なんだかんだいっても、最終決定権は那茂姉にあった。若いけど、大人。私たちの姉妹の中でもいちばん年上だ。理想と現実をわけて考える、ちょっと嫌なやつだ。彼女は自分がもっと仕事をして、なんとかお金を作るるもりだったらしい。やっぱりね。私たちのために那茂姉だけが苦労するなんて、やな感じ。それなら私は「もんじゃ焼き屋」に賛成だ。
 判決は、多数決をとるまでもなかった。今の臨は、そう、敵にまわしたくない状態だ。こんなふうに、やりたいことのために全力の臨は、いつもより頭が切れる。口で勝つのは私たちじゃ不可能だし、ましてや謝衣が臨側についたとあっては実力行使もままならない。長い姉妹会議の末、那茂姉は決断を下した。
「もんじゃ焼き屋をやりましょう」
 臨姉の顔がぱあっと輝いた。
「店の最高責任者はあなたよ、臨。私もできる限り協力する。ただし」
「うん」
「一か月後、クリスマスまでに赤字をなくすことができたらね」

4.臨(りん)
 さすがはお姉ちゃん。なかなか難しい条件を出してくれる。謝衣が道場に通い続け、蜆子の入学金をはらい、私の学費と生活費を確保し、家をちょっと改装……諸々の費用を現在の持ち金から引いていくと、確かに少々赤字になる。それをもうけでなくせってことだ。計算上では克服できる。だけど客の入りに簡単に左右される。予想でそろばんを弾いたって、それは予想でしかない。もしも客の入りが悪かったら、注文が少なかったら。ちょっとのことでだめになる。それでもわくわくしてしまう。姉妹でお店を開くのだ。ごっこじゃない、本物だ。しかも念願の、もんじゃ焼きを売る店だ。嬉しくて涙が出そう。くっくっく、と悪者みたいな笑いをこぼしてしまう。幸い、この町には新しいもの好きが多い。宣伝をたっぷりしてランチタイムも開店すれば、いける。
 お店の準備は順調だった。改装はすぐに済んだ。テーブルや椅子も計画通りに並んだ。蜆子に頼んで作ってもらったチラシを配りまくった。私の通う大学でも、しつこいくらいに宣伝しておいた。
 初日は、開店前から満員になるくらいの行列ができていた。宣伝の効果は期待以上だった。
「みんな、今日からよろしく」
 笑顔でいってみた。
「まかせて。練習の成果を見せるよ」
「誰にいってるの。これでも給仕の腕はナンバーワンだったんだから」
 たしかに、謝衣はお皿運びの練習をたくさんしていたし、蜆子は高校時代のほとんどをウェイトレスのバイトをして過ごしている。なんて頼もしいんだろう。むしろ私のほうがちゃんとできるか心配だ。
「頑張りましょう、臨」
 ぎゅっとエプロンの紐をしばり、お姉ちゃんがいった。
 お皿を割った。おつりを間違えた。注文を書き忘れた。思っていたよりも大変だった。お客さんの相手も、お金の扱いも、お皿運びも、私の考えが甘かったことを教えてくれた。でも楽しかった。どうしてだろう。失敗して、苦笑されて、怒られて、謝って、なのに次の瞬間には笑顔になっている自分がいた。
「臨姉」
 後片付けの後、仕上げにテーブルをふいていたところに謝衣がきた。
「お風呂、できてるから」
「あ、ありがとう。忘れてた」
 もんじゃ焼き屋の反省で頭がいっぱいだった。謝衣は気がきいてる。店でもかなり活躍してくれた。踊るようなかろやかな足運びは、なかなか素敵だった。
「あのさ、どうしてもんじゃ焼きにしたの?」
 よく意味がわからず、首をかしげる。
「別に他のものでもいいじゃんじょ。お好み焼きとかそばめしとか。なのになんでわざわざ、あんまり食べたことのなかったもんじゃ焼きにしたの」
 そんなの決まってる。それしかなかったから。姉妹四人でやるなら、絶対にもんじゃしかないと思った。
「じゃあ、ヒントね。私たちの名前をひらがなで書いて並べてみよ」
「まわりくどい」
「大丈夫。謝衣は賢いからすぐわかるよ」
 謝衣はなっとくしていない様子だったけど、笑ってごまかしておいた。本当はなんでもよかった。四人みんなでできるなら。でも、もんじゃを知った日に、気づいてしまった。これほど私たちにぴったりのものはないってことに。

5.謝衣(しゃい)
 臨姉はあっさりと赤字をなくした。クリスマスまでの一か月弱なんて、あっという間だった。たかが一か月。その間に、うちの店は人気になってしまった。臨姉は大学をやめて、もんじゃ焼き屋をちゃんと運営することにした。もんじゃ焼き屋をやってるときの臨姉はすごくいきいきしている。それになぜか頭がよくなる。へたに大人ぶってる那茂姉よりも臨姉のほうが断然かっこいい。
 今日は師匠にお店にきてもらった。師匠はもんじゃ焼きが大好きだ。もちろん私も。師匠は臨姉の特製もんじゃを絶賛してくれた。お礼に私たちの写真を撮ってくれるそうだ。
「師匠、上手に撮ってくれよ」
「まかせとけ。最近こってるからな、いい写真が撮れるぞ。なにより被写体がいいからな」
 わっはっは、と師匠が笑う。
「さすが師匠。わかってますね」
「お世辞はいいよ。お姉ちゃんたちがつけあがるから」
「なんですって」
 のれんをかけて、並ぶ。臨姉の案で、みんなでコテを持つことにした。
「撮るぞー。ほら、謝衣、なんかポーズ決めろ」
 師匠がにこにこ笑ったままカメラをかまえた。
「もんじゃ焼き、大好きじゃんじょ!」
「ちょっと謝衣、せま……」
「あはは、ふたりとも、なにしてるの」
「あははは」
 ぱしゃっと音が鳴った。たぶん私がコテをかかげている姿が映った。ちょっと迷惑そうな蜆姉と笑ってる臨姉と那茂姉も。これは、大切な一枚になると思う。きっと私が大人になっても、ずっと持ってる。そして、おばあちゃんになったときに、四人で集まって写真を眺めるんだ。もんじゃ焼き屋の思い出を語って、姉妹団らんするんだ。写真には写ってないけれど、空は高くて青く澄んでたねって、笑いあうんだ。きっと、そうにちがいない。

< 了 >

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